2024年のお正月に、能登半島沖で大きな地震が起きたとき、私は石川県内にいました。

家が崩れるような大きな被害があった場所ではありませんでしたが、それでも強く心に残る出来事になりました。

地震のあと、津波警報が出ました。
それがとても怖かったのを覚えています。

そのころ、私は生後数か月の子どもを育てていました。

避難して、車の中で過ごすことになりました。
あの日、車の中で初めてオムツ替えをしました。
そして、車の中で初めて授乳もしました。

外はもう日が落ちて暗くなっていて、避難した高台の商業施設の駐車場にはたくさんの車が停まっていました。
同じように車の中で過ごしている人も多かったのだと思います。

そのとき私が考えていたのは、
「地震があっても、なんとかこの子を生かさなくては」
ということでした。

子どもはいつも通りお腹がすくし、オムツも替えないといけません。
災害の中でも、子どもの生活はいつも通り続くんだなと、そのとき強く感じました。

あの日は、ほんの少し出かけるだけのつもりで、コートも着ずに外に出ていました。
1月の夜で、とても寒かったのを覚えています。

それからしばらくは、どこへ行くときもコートを持って出るようになりました。
暖かい日でも車の中に入れておいたりしていました。

地震のあともしばらくは、怖さが残りました。

海の近くに行くのが怖くて、できるだけ近づかないようにしたり、遠回りしたり。
海抜を調べることも増えました。

子どもから少しでも離れるのが怖くて、同じ家の中でも別の部屋にいると落ち着かないこともありました。

近所に少し出かけるだけでも、
「何かあっても数日過ごせるくらい」の気持ちで準備して外に出ていました。

その気持ちを、すぐには誰にも話せませんでした。
夫以外の人に話すまで、5か月くらいかかったと思います。

でも、母や父、妹に少しずつ話していくうちに、気持ちが少しずつ軽くなっていきました。

心をぎゅっと固く結んでいた紐が、少しずつゆるんでいくような感覚でした。

それから「自分は何が不安なんだろう」と考えるようになりました。

避難したとき、車のガソリンが2〜3目盛りしか残っていませんでした。
1月の夜に、ガソリンが減っていくのを見るのがとても怖かったのを覚えています。

それからは、半分減ったら給油すると決めました。

食料やトイレのことも不安でした。
なので、車には水や食料、簡易トイレを置くようになりました。

災害のときにどう行動したらいいのか分からないことも不安でした。
なので、少しずつ調べたり、緊急連絡先を持ち歩くようにしました。

不安が完全になくなるわけではありません。
でも、少し対策をすることで、少し安心できるようになった気がしています。

もし今、地震のあとに残った怖さを感じている人がいたら。

その気持ちは、決しておかしいものではないと思います。

時間が経ったり、誰かに話したり、少し備えをしたり。
そうやって少しずつ、心が軽くなることもあるのだと思います。